日々の暮らしと時々の数学

くだらないチラ裏スペース。時々数学のことを書く。

▼画面だけでは胡麻塩ぐあいが分からない

会議資料の電子化が進められる中でも、どうしても慣れない部分があります。

資料を読むには一覧性が高い方が良いのは当然です。

 

資料を作るときにも感じることがあります。

自分の作った資料を印刷して机に並べてみると、

キチキチに文字が詰まっているのか空いているのか、

言いたいことと雰囲気があっているのか、

なんとなくの塩梅が見えにくくなってしまいます。

 

牟田郁子『文にあたる』(亜紀書房)の中で、

光野桃『着ること、生きること』(講談社)の引用があります:

長い文章の時は原稿用紙を床に並べて、かなと漢字の

胡麻塩ぐあいをよく見るようにと教えられた。

漢字ばかりで黒々としていたら読みにくいのは当然だけれど、

ひらがなばかりの白っぽい締まりのない画面も読む気がしない、

ましてカタカナが多いのは尖って取りつくしまのない、冷たい印象になるものよ。

 

時代について行けていないということでしょうが、

この胡麻塩ぐあいが見づらいことに、どうも慣れません。